母の日だったけど私の父の話。

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小池設備の創業時の話。

 うちは、恐らく私が生まれた当時とても貧乏でした。古淵にあったパン屋さんに週に1度、食パンを裁断した後に出る「パンの耳」をもらいに行くのが、私の日課でした。たまに、サンドイッチを作る際に出るパンの耳も、もらってくると母が喜んだものです。

 あの硬いパンの耳も、母の手でふかして食べるととても柔らかく、日曜日の朝や両親の忙しい朝はおいしくパンの耳を食べていました。

 私の父、小池設備の創業社長は、町田市の小山田に実家があります。私の母と姑の折り合いが悪く、父は母を守って実家を出ました。5人兄弟の長男で、実家を継ぐのが必至の時代背景の中、よくぞ決断したと思います。

 当時、農家で野菜を作ったり、牛を飼って生計を立てていましたが、そんな生活に見切りをつけたのかもしれません。


家を出る時には、特に持ち出す荷物もなく、まさに「裸一貫」だったと、母も死ぬまで言い続けました。

 しばらくは、タクシーの運転手としてそこそこの成績を残していたようですが、そのころの仲間に「これからは、建設関係がいいぞ」と聞きかじって、水道屋になったそうです。

 父は、水道屋を始める時の話をよくしてくれました。「当時は金がなくてな。スコップもドブに落ちていたやつを拾ってきたんだ。」父が、歯をくいしばって、誰のものとも分からないスコップで穴を掘っている姿が目に浮かびます。


いまでは、重機もトラックもそろい、人財も豊富で、不自由なく経営ができます。両親の血と汗と涙の賜物と、感謝致しております。私も、歯をくいしばって、そのご恩に報いなくてはなりません。

 よく、思い通りにいかないと家で怒鳴っていた父、それをなだめながら陰でよく泣いていた母。最近になって本当にいい両親だったと思います。

 「使命」という言葉があります。まさに、「命を使う」ことだと思います。私は私の「使命」のために、頑張らなくてはなりません。


 困ったときに、一緒に頑張ってくれる社員、そしていろいろと心配をしてアドバイスをくれる諸先輩方、そして、こんな素晴らしい会社を創ってくれた両親に本当に感謝致します。

 これからの小池設備にもどうぞご期待ください!!